パトリック・ジェロラは、画家である母の影響を強く受け幼少より芸術的な環境の中で育ちました。ブリュッセル王立美術アカデミーで学んだ後、1981年から「モダンバレエの魔術師」モーリス・ベジャール主宰の舞踊学校にて振付・芸術監督を務めるミシャ・ヴァン・ウック率いる「ムードラ」で舞台美術を手がけました。その後、1983年に初めて日本の地で大きな成功を収めました。
ジェロラの表現方法のひとつである「アル・フレスコ」は純粋な顔料に少量の樹脂を混ぜるなどをして自分で作った絵具を使用して作品を描きますが、このことによって絵画に一段と透明感と明るさがもたらされます。ジェロラの作品には、ヨーロッパとアジアからインスピレーションを得て作家自身の寛大さと感受性が反映されています。
また、彼の作品はその独特な色彩とリズム感のある線やフォルムによって、自然の息吹、そして光と音が溢れ出す様な官能的な世界を創り出します。作品はカンヴァスに描かれる事もあれば、さらに大きな制作となる異なることもある。傑作のひとつに、鮮やかな色彩の花畑が一面に描かれている絵があります。彼は仕事をするときに常に流れている音楽に合わせ、踊るように、また石庭の砂に熊手で節目をかく禅僧のように、画面を掃くようにして表面の素材の魂に筆をはこばせています。
ブリュッセル出身の画家
- 1959年6月28日 ブリュッセル生まれ 画家である母親の影響で、幼少より芸術的環境のなかで育つ
- ブリュッセル王立美術アカデミーで学ぶ
- 1981年 モーリス・ベジャール「20世紀バレエ団」の芸術監督であり、ダンス・カンパニー「ロンサンブル」の振付家ミッシャ・バン・ウックのもと、ヨーロッパ各地の舞台美術を手掛け活躍
- 1983年 来日
日本における活動
- 1985年 つくば万博フランスパビリオンのディスプレイ、装飾
- 1988年 PAXO studioの設立メンバーとして、画家・ミュージシャン・ダンサーなど新鋭アーティストが結集し、活動する場を提供
- 台湾・ローマ・日本において、PAXO studio 所属のアーティストが絵画・フレスコ画など数々の作品をパブリックおよびプライベートの場にて制作
- 1989年 豊かな文化と歴史に恵まれた鎌倉に、アトリエと生活の場を移す
- 2005年4月21日から7月3日メルシャン軽井沢美術館において10周年記念の展覧会を行う
作品を通して芸術活動の幅を広げる
- 西欧と東洋という異なる2つの文化の狭間で生活し活動を続けるうちに、2つの文化を共存させ、そのなかに自己の情熱と活力を見出すかのように、日本の繊細な筆のタッチ、様々な光やその歴史的な風景を、ヨーロッパの芸術の影響をふんだんに受けた作品のなかに見事に融合させていく
ヨーロッパと日本の文化使節として
- 「ベルギーフェスティバル’94」を大阪・名古屋にて開催、ベルギー王国フィリップ王子が展覧会をご訪問
- 駐日ベルギー王国大使公邸のために絵画作品「満開の鎌倉(1998年)」を制作(ベルギー王国政府所蔵)、常設
- 「ベルギーフェスティバル’99 in 沼津」を企画・総合プロデュース(会場は4000㎡のドーム)、3日間で2万人の来場者を集めるとともに、生中継でテレビ放映される音楽バンドJAPONIDA[ジャポニダ](作曲/ジノ・マリサン 作詞・ボーカル/ヒダトモミ)結成、CD制作、数々の展覧会の企画・プロデュースを行い、多数のアーティストを日本に紹介する
- ベルギー王国「キングスデー」(11月15日)の空間デザイン(駐日ベルギー王国大使公邸、1998、1999、2000、2001)
- ベルギー王国アストリッド王女、ロレンツォ王子が鎌倉のアトリエをご訪問(2000年10月)
- 「エレナ・ベルテリウス・カンパニー」舞台美術の絵画作品「空の目」(12㎡)をカナリア諸島・テネリフェ島にて制作(2000年11月)
- ベルギー王国ローラン王子来日の折、鎌倉ご訪問のコーディネイトをする(2003年2月)
- 文化功労者として、ベルギー王国フォーレの名誉市民の称号を受ける(2003年9月)
- 豪華カタマラン(クルーズ艇)「ドゥース・フランス号」のための絵画12作品を制作(2004年)
- 日本企業の化粧品のパッケージデザイン(2005年)
- 愛知万博6月14日の「ベルギーの日」ベルギー王国フィリップ王子ご来日の際<ジャポ二ダ>の舞台公演のために20㎡の作品を制作(2005年)
- ベルギーのアントワープ州立ダイヤモンド博物館に「祭り」の作品が常設(2005年)
- 日本企業からシルク100%のスカーフを4点発表(2006年)
- 高さ2.20メートルの造形作品に描く(2008年)
- ブリュッセル空港に9㎡の「創作」を常設(2009年)